2人目の妊娠中、夫婦で海外旅行に行きました。上の子はおばあちゃんちでお留守番。行き先はポーランド。
目的
最初のきっかけは、夫の好きなゲームです。ポーランドは、知る人ぞ知るゲームの国らしいです。夫がポーランドに行きたいと言い出した時、私ははっきり言って興味無しでした。どうせヨーロッパまでいくなら、新婚旅行で行くはずだった(上の子妊娠で中止に)イタリアあたりに行きたい。
ですが、この時も私のお腹には2人目が。テロだなんだと世界情勢も怪しい時だったので、安全な国ならポーランドでもいいよ、ということになりました。
ポーランドに行くことが決まり、私の中で何を目的に行けばいいのか、色々と調べてみました。
そして、出てきたのがアウシュビッツ=ビルケナウ ナチスドイツ強制絶滅収容所だったのです。
イメージ的にドイツにあると思っていました。
ここは、負の世界遺産。一度は行ってみたかった場所!!
俄然、行きたくなりました、ポーランド!!
ポーランドってどこにあるの?
ポーランドは中央ヨーロッパに位置しています。ドイツの東隣にあり、バルト海に面しています。国土は日本より小さく32.2万平方キロメートル。人口3840万人。首都ワルシャワ。公用語ポーランド語。通貨はズロチ(ZŁ)。
「平原」という意味をもつ国名のとおり、森や湖など手付かずの自然が残された美しい国です。王国の形成は10世紀。地動説を唱えたコペルニクスや、ピアノの詩人ショパンの祖国です。
私たちが行ったのは首都のワルシャワとかつての首都クラクフ。どちらも観光客が多いのか、ホテルやタクシーでは英語が通じるところが多かったです。レストランでは通じないところもありました。一人ですが、日本語を少し話せる方にも出会いました。
3月のポーランドの気候は?
ポーランドは大陸性気候で、はっきりとした四季があります。冬はどんよりと曇った日が多く、そのおかげで冷え込みが緩和され、高緯度のわりにそれほど寒さは厳しくありません。とは言っても、ポーランドの最高気温が、だいたい東京の最低気温くらいです。
私たちがポーランドに行ったのは3月末。日本は暖冬の年で、すでに桜は満開。最高気温が20度にもなる暖かさ。対してポーランドは、最高気温7度。夜は氷点下にもなります。
当然、真冬の装備です。バックパッカーのような装備で向かいました。
季節的なものなのか、空気が悪くてマスク必須でした。喉がすぐイガイガになりました。暖かいし、ちょうどいいやと思ったのですが、ポーランドではマスクってほとんどしないみたい!!めちゃくちゃ見られました!!
旅行の前に熟読させていただいた[ポーランドナビ」というブログです。現地在住の日本人の方がポーランドについてかなり詳しく書かれているので、行かれる方は参考にされてください。
ポーランドの食べ物やお土産は?
食べ物
物価が比較的安いので、大都市のレストランでコースを食べても5000円を超えることはあまりありません。私たちもユダヤ料理の有名店とポーランド料理の有名店で食事をしましたが、どちらも、二人で5000円程度でした。
バルやカフェテリア方式のBARだと、一人500円程度でおなか一杯食べられるらしいです。
街中にはパン屋さんがたくさんあり、どれも大きくて安い!!バス移動の日はたくさん買い込んで、駅で食べました。(バスの中は飲食禁止でした。)
街中の屋台では、スープが何種類も売っていて、これもたくさん入って安い!!どれも美味しかったのですが、きのこのスープが特においしかったです。
ポーランド風餃子のピエロギや、赤カブスープのバルシチ、バラジャム入りのポンチキなど、たくさんの伝統料理があるのですが、妊娠中でつわりが明けきれていない私は、あまり何も食べれず、唯一パンとスープが食べられるものでした。
お土産
私が一番楽しみにしていたのはポーランド陶器です!!ボレスワヴィエツって知ってますか??
ここで紹介されているクラクフのミラというお店でバターケースと親戚へのお土産にカップやお皿を数点購入。日本人は割引してくれます。
お店によって陶器の柄が違っていて、自分好みの柄を探すのが楽しいです。
それから、スーパーでばら撒き用の粉スープを購入。クノールのスープが一番美味しかったです。一袋で鍋いっぱいできるので、家族4人分の朝食になります。
その他、ポーランド伝統の切り絵柄のグッズや、民芸品の木箱など、可愛い雑貨がたくさん!!
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所とは?
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが推進した人種差別による絶滅政策により集められたユダヤ人や、ジプシー、政治犯、障がい者、性的マイノリティー等を収容した場所。
収容所はたくさんあり、その中の一つがアウシュビッツです。アウシュビッツも、第一収容所であるアウシュビッツ、第二収容所ビルケナウ、第三収容所モノヴィッツにわかれていたそうです。現在見学できるのが第一収容所と第二収容所になっています。
第一収容所アウシュビッツ見学の記録
あまりにも有名な第一収容所の門です。「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)という言葉は、収容者たちに作らせました。
約220ボルトの高圧電流が流れていた鉄線が周囲に張り巡らされていました。この鉄線に飛び込んで自殺した人もいたそうです。
建物は全部で28棟。多いときは第一収容所だけで20000人を収容したそうです。
一階部分と二階部分で窓などの作りが違うのがわかりますか?ここは元々はポーランドの軍事施設だったのですが、押収して収容所として使いました。二階部分の建設も収容者にさせています。
収容者はドイツ国内だけでなく、さまざまな国から連れてこられました。
なぜポーランドだったのかというと、ポーランドがヨーロッパの中心に位置すること、農業大国であったため広い土地が確保できるなどの理由がありました。
このアウシュビッツにはクラクフからバスで来たのですが、「アウシュビッツ行のバス」というものはありません。「アウシュビッツ」とはドイツ語で、ポーランド語では「オシフィエンチム」といいます。
ドイツ人医師が「選別」をしている写真です。顔色だけで働けるかどうかを判断し、働けないと判断された者は、そのままガス室に送られます。ガス室に送られる人の多くが「女性、子供、老人」。14歳以下は子供とみなされ母親と一緒にガス室へ送られました。
このように、ここにつれて来られた人の75%は収容されず、そのままガス室で殺されたそうです。
障がいをもつ収容者がつけていた器具。
人々の選民意識を煽り、優れた遺伝子を残すという目的で、障がいをもつ人たちも収容されました。
収容者がもってきた日用品。
収容者たちは、「仕事がある」「新しい生活ができる」と言われ、持ち物はカバン一つだけを許されてここに来ました。カバンには住所や名前、乗ってきた列車まで書かれていますが、自分の手でこのかばんを開くことができた人はいなかったそうです。
もちろん、行く先で何が待っているのか、わかっている人たちも大勢いました。しかし、逃げることもできず、子供たちを安心させるため、カバンに荷物を詰めたそうです。
このほか、大量の人毛も展示されていましたが、遺体の一部ということで撮影はできませんでした。
この髪の毛は、ドイツに送られ、織物に使われていたそうです。
「死の壁」ここで何人もの人が銃殺されました。
焼却炉。「シャワーを浴びる」とガス室に誘導された人々は、殺された後、燃やされました。
「チクロンB」という殺虫剤をつかって人々を殺していました。
毒ガスを投げ込まれ、苦しんだ人々は上へ上へ逃げるため、遺体は積み重なって絡みついていたそうです。
ここまでが第一収容所で見学したもののまとめです。
後半では、
・第二収容所ビルケナウ見学の記録
・収容所での暮らしや役割
・なぜユダヤ人だったのか
・なぜ近代国家ドイツが殺戮をおこなったのか
・日本人ガイド「中谷剛」さん
・感じたこと、伝えたいこと
を中心にまとめていきたいと思います。